警察やFBIも俺を監視してる、そして俺に嘘の罪を被せようとしている女性達も、俺のことを羨ましがっているやつも、俺のことが好きなやつも、世の中が俺の次の動きが気になっている。
「まるで全員から見張られているようだ」という意味で名付けられた2Pacのメガヒットアルバム「All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)」。そのタイトルがそのまま使用された彼の伝記映画を観てきました。
批評家達や2Pacのファン、そして生前の2Pacと関係のあったラッパー達から酷評されているこの映画ですが、個人的には結構楽しめましたので、そのあたりの感想をちょっと書いてみようと思います。
25歳の若さでこの世を去った音楽界のレジェンド<2PAC>真実の物語。成功への道のり、仲間との別れ、裏切り、カリスマ性と名声の代償、警官狙撃、名誉毀損で告訴、
東西海岸抗争、そして自身の被弾―。センセーショナルなゴシップを放ち続け、常に危険と隣り合わせにいた2PACの知られざる真実を描き、まさに音楽映画の枠をぶち破る。
ヒップホップやラップミュージックが好きなら知らない人はいない、50centやバスタライムスやスヌープドッグなどのミュージックビデオを手がけるベニー・ブームが監督。でも50centにはこの映画を「bullshit(クソだった)」と言われちゃいましたね。
ディミートリアス・シップ・ジュニアが演じる2Pacですが、顔が2Pacに驚くほど似てます。さすがは4000人のオーディションから選ばれだだけある・・・。
あと、見どころですがジャレット・エリスが演じるスヌープ・ドッグの声が似すぎてて怖いです。これ、アテレコしてるんでしょうか?似てるなんてレベルじゃないです、2Pacの映画ですけど、こっちの方が衝撃的でした。しかも、本作がデビュー作らしいです。すごすぎ。
ニューヨークのスラムで生まれ育った2PAC。ブラック・パンサー党員の母に連れられ、住まいを転々としていたため、あまり周りに馴染めない辛い幼少期を送っていた。役者に憧れていた彼は、12歳の時にハーレムの劇団に入団し舞台デビューを果たす。1986年、一家はバルティモアに移り住み、2PACはバルティモア芸術学校に入学。その頃から彼はラップに没頭することとなり、数々の詩を書き始める。17歳の時、カリフォルニアに移り住むこととなるが、その頃には母親はドラッグ中毒で家庭は酷い有様と化していた。そんな中、彼はラッパーとなる夢を追い続ける。1991年に2PACの名で、アルバム「2Pacalypse Now」でソロ・デビューを果たし、着々とその名を上げていく。 だがある日、レコーディングに訪れていたスタジオで強盗に襲われ、その身に銃弾5発を受けてしまう。一命を取り留めた2PACは、事件はたまたま同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノトーリアス B.I.G.が仕組んだことだと思い込む。西海岸のヒップホップ・レーベルDeath Rowレコードに所属する2PACは、東海岸のBad Boyレコードのショーン・コムズやビギーをことあるごとに避難し、ヒップホップ界史上最悪の東西抗争が幕を開けてしまう。そして遂に、1996年9月6日ラスベガスで2PACは銃撃され、25歳の若さで人生の幕を閉じる事となる。
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盛大なネタバレになってしまいますが、2Pacは最後に打たれて死にます。
なんてね。伝記物のストーリーにネタバレもクソも無いと思いますのでご了承ください。最後に2Pacが死ぬなんて知りたくなかった!って人は読まないようにしてください(笑)
さてこの映画、正直言って「よくわからないところ」が多すぎます。後述しますが、「よくわからないところ」が良さでもあるといえばそうなのです、しかしまずは説明不足でしょ!という文句からスタートしたいと思います。
この、映画で説明しないままの部分というのが、おそらくですが日本でヌクヌクと平和に生活している僕たちには、汲み取れない部分なのかと思います。
例えば、母親のアフェニがドラッグに溺れていく部分。思想犯で投獄されたのに無罪判決を勝ち取るような人格者の母親がドラッグに溺れていく背景が全然描かれてないため、「こういう人ってそういうもんでしょ?」という無言の語りかけに感じます。
僕の母親を含め、幼少期の周囲の友達の母親がドラッグ漬けになっていく姿を見ていませんから、ちょっと「そういうもんだよね」っていう感じに受け止められず、何があったのかな?って思っちゃいます。
そして、ラッパーのオーディションを受けてから一気にスターダムを駆け上がっていく訳ですが、2Pacの作った曲がどんな歌詞の物なのかとか、どこにカリスマ性があったのかが語られないため、なんで周囲に熱狂的に支持されたのかが不明です。
この辺りも「2Pacの歌詞の良さを知らない人なんて(アメリカには)いないだろ?」って感じの作りが伺えます。
その点、N.W.A.の伝記映画であるストレイト・アウタ・コンプトンでは、警官達に不当に扱われる黒人達の描写からの「Fuck tha Police」により、このような文化背景の無い僕たち日本人でも、思わず拳を掲げたくなるくらいに「N.W.A.が評価された理由」がわかりやすく解説されています。
他にも、スターダムを駆け上がってから、いい女をはべらかしてパーティー三昧だ!みたいな曲を立て続けに出しますが、こういった曲が売れる理由もなんの解説もありません。心境の変化や、求められるものの変化などが描かれてないため、見ている方は置いてけぼりです。
それで、ヒップホップで成功すると同時に訴訟によって弁護士費用がかさんで家計が火の車になっていく訳ですが、なんでこんな訴訟されるのかもわからないままに・・・・・。
「警察やFBIも俺を監視してる、そして俺に嘘の罪を被せようとしている女性達も、俺のことを羨ましがっているやつも、俺のことが好きなやつも、世の中が俺の次の動きが気になっている。まるで全員から見張られているようだ、よし!次のアルバムタイトルは『All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)』にしよう!」
って感じで、最大の見せ場が終わっていきます。
レイプ容疑で逮捕された際に一緒にいた「ナイジェル」という人物が起こした行動も、2Pacをハメるためにやったのか、その理由は?という点が全く説明されず、この辺りの話は「とにかく色々あって刑務所行きだったのさ!」という強引さを感じます。
もうこの世にいない2Pacの伝記ですから、2Pacが語らなかった部分や2Pacすら知り得なかった部分は抽象的に描くか、もはや描かないかになってしまうのはわかりますが、こんなボンヤリした感じの映画なのかと、少々ガッカリしました。
そして、刑務所の中でも「?」というシーンが連続します。
黒人の看守が2Pacに嫌がらせする白人の看守に同調するシーンは何を意味しているのでしょうか?2Pacの横を通り過ぎる黒人の囚人が中指を立てる理由は?あと、ちょっと騒いでる囚人が殺傷されているシーンの意味は?
とにかく「アメリカ!ヒップホップ!黒人!ってのはこういうもんだよ!」の連続で、文化的に理解しにくい日本人には、どうしても雰囲気映画なのか?と感じざる得ないシーンが連続します。
そして、デスロウレコードのCEOであるシュグナイトに助けられて出所する訳ですが、ここから2Pacという人間を描く上で欠かすことのできないヒップホップ東西抗争に発展していく!と、ヒップホップファンは前のめりで見始めると思います。
もちろん、2Pacを知らない人は、ヒップホップ東西抗争なんて知る由も無いわけで、そんな中で唐突に「敵は東のバッドボーイレコードだ!」となるわけです。
おそらくですけど、映画館にいた2Pacをこの映画で初めて知ったような人たちは、「え?なんで喧嘩するの?血の気が多いの?」ってなったと思います。しかし、なんの説明も無いまま「ヒップホップってのは喧嘩するもんだ!」みたいに進んで行きます。
そして、撃たれて死ぬ、と。
これ、N.W.A.を中心にギャングスタラップが誕生し、ヒップホップドリームと呼ばれる風潮が生まれ、ビーフと呼ばれる喧嘩が活発化し、それをメディアやリスナーが求め煽り激化し、最後はヒップホップ東西戦争へと発展し、偉大なラッパーを失う、という一連のヒップホップ史が頭に入ってないと、ただの「クライムムービー」になってしまう気がします。
しかし、ここまで「説明不足の映画」と悪い評価のように書いてきましたが、それはあくまで2Pacを中心としたヒップホップドキュメンタリーとしての評価です。
2Pacってどんな人だったの?という質問に対して「2Pacってのは、こういう人でした」というドキュメンタリーとしては、大変素晴らしい映画でした。
そもそも、僕たち日本に住んでいるエミネムから入ったヒップホップファンなんて、2Pacがスターダムをのし上がっていく光景を肌で感じていませんし、東西抗争の最中にヒップホップな討論をしてませんし、2Pacが死んだ日にヒップホップを聴いていなかった可能性すらあるわけで・・・・・。
2Pacがどんなことをした人なのかを知ることはできますが、2Pacってどんな人なのかを知ることはできなかったわけです。
もちろん、この「All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)」という映画は、2Pacの関係者たちからも「リアルじゃ無い」なんて言われているため、嘘の映画なの?という心配もありますが、それでも2Pacという人間の人間性に関する部分を映像として見られるのは、大変有意義な時間かつ面白かったです。
そうです、「この映画面白かったですか?」と聞かれれば「面白かった」のです。
もっと2Pacが知りたい!もっとデスロウが知りたい!もっとヒップホップが知りたい!そうさせてくれる映画であることは間違いありません。ただ、日本ではこれを誰も教えてくれないのが残念ですけどね。
映画批評集積サイトのRotten Tomatoesでは10点満点中4.3点だそうです。厳しいですね。概ね「主演の演技は素晴らしいけど、ストーリーが真に偉大な人物の生涯を表面的になぞっただけ」という意見のようです。
僕もそう思います。2Pacというラッパーが社会にもたらした影響などがほとんど書かれておらず「生まれて、死ぬまで」を観てるだけに感じました。
また、劇中にも登場する2Pacの高校生時代の親友(恋人?)であるジェイダ・ピンケット本人は「トゥパックが私に詩を聞かせてくれたことなんてない。彼の死後に詩集が出版されるまで、詩に関心を持っていたことすら知らなかった」「トゥパックのライブに参加したことはないし、ましてやバックステージで口論になったこともない」と発言しています。
このような「リアルじゃない」という意見は、ラッパーの50centからも出ていますね。「映画で2PacとFaithが写真を撮るシーンがあるんだ。その時にiPhoneが映っているんだ」と言っています。映ってたかな?見逃したかもしれませんが、僕は気がつきませんでした。
あとは、ストレイト・アウタ・コンプトンでメチャクチャ悪人として描かれたからか、撮影現場でひき逃げ事件を起こしたデスロウレコードのCEO「シュグ・ナイト」は本作を賞賛してます。オール・アイズ・オン・ミーでは2Pacを救った素晴らしいギャングスタとして描かれてますからね。
今回の映画「All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)」を観た人なら、1996年の9月13日に、ラスベガスのフラミンゴ通りにて、シュグ・ナイトとクラブへ向かう途中4発の銃弾を浴びて6日後にネバダの病院で息を引き取った、というのはご存知かと思います。
その時、シュグ・ナイト以外の2Pacの周囲にいた人間やアーティストは何をしていたのでしょうか?そのインタビュー動画があるので、ちょっとご紹介します。
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2Pacを撃った(かもしれない)バッドボーイレコーズの連中をラジオの生放送で「あいつらはダチ」と答えたことで2Pacと仲違い。
ラスベガスの公演が終わったら話し合って仲直りしたいと話している最中に2Pacは襲撃され、誤解が解けぬままに今生の別れとなってしまったスヌープドッグ。
2Pacが襲撃された時、彼はラッパーのウォーレンGの家のリビングで、彼と一緒にゲームをやっていたところ、「ニュースを見ろ!」と大量の電話がかかってきたため急いでニュースを見たら、2Pacが撃たれたというニュースを見たようです。
ネバダの病院に行き、病室で意識不明になっている2Pacの手を握って祈りを捧げたが、そのまま帰らぬ人に・・・。仲違いしたままだったこともあり、インタビュー中のスヌープはとても悲しそうな表情をしています。
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劇中にも登場した高校生時代の友人(恋人?)のジェイダ。彼女にとってこのニュースはとてもショックであったと考えられます。
ニュースを見たジェイダは、2Pacの母であるアフェニに電話して「今から飛行機に乗って向かうべきか」と聞いたところアフェニは忙しいジェイダを気遣って「2Pacなら大丈夫だから無理せず来れる時にきなさい」と言われたそうです。
画像引用元:youtube.com
エミネムといえば希代の天才ラッパーであり、2パックのドキュメンタリー映画『Tupac: Resurrection』のサウンドトラックの1曲「Running (Dying To Live)」において、ヒップホップ東西抗争の主役であり最大の被害者と言える2PacとBiggieを共演させることで「和解」というよりも「周囲やメディアが必要以上に東西抗争を煽ったことで、2人の偉大なラッパーを失ってしまったという事件の一側面」をリスナーに伝えた偉大な人。
しかし、2Pacがこの世を去った1996年の9月13日というと、エミネムの自主制作1stアルバムがリリースされる2ヶ月前、まだスターダムを駆け上がる前の「ラップ好きな一般人」です。
大きなテレビのあるスポーツバーので調理人のアルバイトをしていたエミネムは、そこで2Pacが死んだというニュースを見たようです。本人はそのニュース混乱しながら見ていたとのことですが、ヒップホップに興味のない周囲の人間に「なんでコイツはこんな悲しんでいるのか?」という目で見られたと話しています。
さて、ここまで2Pacの生涯について「All Eyez On Me」という伝記映画を見た感想に、自分の知識を肉付けしつつ紹介してきた訳ですが、おそらくこの映画を見た2Pacや東西抗争を知る人は見終わったあとこう思ったのではないでしょうか?
え?ここで終わんの?
そう、この映画、2Pacを語る上で非常に重要と言える東西抗争や、2Pac死後のBiggie(Notorious B.I.G.)についての言及が一切ないままに「2Pacを撃った人間は判明していない」という締めくくりなのです。
確かに「2Pac」の伝記ですから、彼がこの世に生まれて、ラップでスターダムを駆け上がり、浮き沈みがあって、そして死ぬ。それを描くんだ!と言われてしまえばそこまでかもしれませんが、尻切れとんぼな感じが否めません。
っていうか、2Pacというラッパーを知らないままにこの映画を見た人は、「ラップ世界を変えてやると一旗あげた黒人が、金や権力に溺れて撃たれて死ぬ映画」のように見えてしまうのではないでしょうか?
ヒップホップ東西戦争って、ただ単純に「あいつムカつくから殺したる!」っていう喧嘩なだけではないんです。
今よりインターネットが発達していないこの時代、僕たちが情報を得るにはCDに収録された曲を聞くしかなかったのです。だから、喧嘩するとCDが売れるし、その情報をメディアが扱えば数字が稼げた訳で、必要以上にこの喧嘩をメディアが煽る訳です。
ある種、2Pac(と、Biggie)は被害者な訳ですが、このような角度の話がまるで出て来ないため先述したようなドキュメンタリーというより、クライムムービーのような感じになっている気がして仕方ないのです。
なので、この映画で初めて2Pacというラッパーを知ったという人は、ぜひヒップホップ東西抗争について、その歴史を読んで見て欲しいと思います。
という訳で、東西抗争については、僕じゃない人の記事を読んでください。僕もそこまで詳しい訳ではないので(笑)